「徳川四天王」であなたが好きな武将は誰?【人気投票実施中】

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 戦国時代を生き抜いて征夷大将軍に就任し、260年におよぶ江戸時代の礎を築いた徳川家康。その偉業は多くの家臣と共に成し遂げたものですが、中でも「徳川四天王」と呼ばれる4人の名将の活躍は、さまざまなエピソードとともに語り継がれています。

 そこで今回は、「徳川四天王であなたが好きな武将は誰?」というテーマで人気投票を実施します。まずは、4人の武将それぞれについて簡単に解説するのでご覧ください。

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酒井忠次

 徳川四天王で最年長の酒井忠次。今川氏の人質として駿府に送られた幼少期の家康にも随行した、古参の家臣です。甕を突き抜けて敵を貫いたと伝わる「甕通槍」を振るう勇猛な武将である一方、徳川家の勢力が拡大すると家臣団のまとめ役となりました。また、「海老すくい」という踊りが得意だった逸話も残っています。

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本多忠勝

 本多忠勝は生涯で57回の戦いに参加するも、かすり傷ひとつ負わなかったといわれる猛将。愛用の「蜻蛉切(とんぼきり)」は、穂先に止まったトンボが真っ二つになったといわれる名槍です。その戦いぶりは、徳川方を苦しめた武田軍の武将から「家康に過ぎたるものがふたつあり」と称えられるほどでした。

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榊原康政

 三鈷剣の前立の兜が印象的な榊原康政。榊原家は徳川家の前身である松平家の陪臣(家臣の家臣)の家柄でしたが、家康に小姓として見出されたことから運命が大きく変わりました。忠次や忠勝と同じく数々の戦いで武勲を挙げる一方、さまざまな実務も任されています。晩年は、「老臣が権力を争うのは亡国の兆し」として自領から出なかったともいわれています。

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井伊直政

 井伊直政は四天王の最年少。武田家が滅亡した際には、勇将として知られる山県昌景の「赤備え」を継承し、さまざまな戦いで武功を挙げました。武辺一倒ではなく外交手腕にも優れ、関ヶ原の戦いでは多くの大名を徳川方に引き入れたり、戦後処理に奔走したりもしています。この戦いで受けた傷がもとで、42歳の若さで世を去りました。

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徳川四天王で好きなのは?

 さまざまな魅力や逸話を持つ徳川四天王。投票の際にはぜひ、好きな理由や印象に残っているエピソードなどもコメントで教えてください! それでは、投票の方をよろしくお願いします。

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